セカンドポスト

雑記(フットボール/エンジニア/旅行/語学)

ウィーン在住LASKファン Linzer Derby

Servus!!

なかなか時間がなく更新が滞ってしまった。
8月12日 オーストリアブンデスリーガで26年ぶりに Linzer Derby が行われた。

26年前はLASK vs FC Linz いまの FC Blau Weiss Linz(BW Linz)の前身と呼ぶ人の多いクラブとの対戦だったらしい。Wikipediaの情報によると、最後のダービー後FC Linzは政治的または財政的な理由でLASKに吸収されたようである。

FCリンツ-ウィキペディア (wikipedia.org)

BW Linzは今季初めてブンデスリーガに昇格してきたクラブ。昇格と同時に新スタジアムをオープンした。LINZ AGというリンツ市では大きな企業のバックアップを受けているようである。

自分はLASK側から見たダービーしかわからないがこの一戦を前に現地で紹介された記事などを日本に向けて紹介したい。

 

INITIATIVE SCHWARZ-Weiss

Initiative Schwarz-Weiß - „Der SKV ist lange tot“– und andere Unsinnigkeiten (initiative-sw.at)

以前スポンサーカラーユニフォームで紹介したサイトである。”STVはもう死んだ”というタイトルと共に、商業化が加速するフットボールシーンへの懸念が投稿されている。
意訳しながら要約すると、
・SKV(FC Linz の旧名称)は政治的、商業的な理由でLASKとの合併を強引に進められた。
・表向きは合併だが、SKVのカラーなどは考慮されず、事実上の解散と同義であった。
・合併が表に出たときLASKとSKVのファンは伝統を重んじるべきだという連帯を示す行進を行った。
・後継クラブとして誕生したBW Linz を認めず、馬鹿にするファンが多いがそれは誤ったライバル関係の認識ではないか。
・多くの人々のBW Linzへの反応は商業化されたフットボールに対する正しい反応だろうか。
レッドブルが参入した後のSV オーストリアザルツブルクを後継クラブとして認めないフットボールファンはいないだろう。
・LASKが逆の立場になっていた可能性もある。
・本当の敵は逆サイドのウルトラスではない。

商業化の波を食ってクラブを奪われた人に対してそれは正しい反応なのか?という問題提起のような記事。現にLASKはBWTというメインスポンサーによってクラブカラーがいたるところで損なわれている。ホームゲームでピンクのユニフォームを着用するなど。伝統を重んじるフットボールファンであれば共闘するべきだ、という内容である。

 

ダービーウィーク

ダービーを前にいくつかの写真がアップされたので紹介する。

ドナウ川の岸にリンツには黒白だけと描かれたアート

 

BW Linz を揶揄して用いられるスマーフにいたずらして陸橋からつるし上げられる写真

 

1981年 ダービーにてLASKファンがSKVのフラッグを燃やす様子

https://www.oepb.at/wp-content/uploads/2022/05/Bild-5_Aus-SK-VOeEST-Linz_LASK_2_0_21-11-1981_Sammlung-oepb.at_.jpeg

 

試合前

試合を前に両クラブ共に市内中心部からスタジアムまでの更新が計画された。LASKは中央広場、BWは少し離れたOK Platzと呼ばれる広場に集合した。その距離僅か500mほどである。リンツはそこまで大きい街ではないため集まれる広場が多くはないからであろう。あとはスタジアムの立地も中心部から中央駅方面に向かうため逆方向からの更新は難しい。

行進の告知投稿

行進開始の2時間半前に集合して周りにあるパブなどでみんなと飲みながら開始を待った。自分はウィーン在住のファンたちと中央駅で待ち合わせて広場に向かった。14時頃にはすでに大勢のファンが集まっていて広場は黒一色だった。(LASKのファンは黒を着て、BWは白を着る)途中のトラムでBWが集まっているのも見えたがその時点ではあまり多くないように見えた。

行進開始の時刻になると広場ので口に大量の人だかりができていた。のちの報道や記事では2000人から3000人のファンが行進に参加したらしい。ちなみにリンツの人口は20万人ほどでスタジアムの収容人数は1.9万人である。

その様子は以下

 

 

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スタジアムまでは約30分。途中の小道の前には警察が待機していてより一層ヨーロッパフットボールを体感した。

 

試合前にはコレオグラフィー

https://landstrassler.at/fileadmin/_processed_/b/c/csm_21_28f8928b51.jpg

Foto by Landstrassler - LASK - Blauweiss 2:0 (1:0)

このコレオグラフィーはすべて手作業で作成されている。1ヶ月ほど前からウルトラスでシフトを組んで毎日作業していたらしい。ビッグリスペクトである。本当に素晴らしい。
このコレオの意味は115年前からLASKがリンツを支配している。という意味。正面左の人物は115年前のオーストリア伝統の紳士像を描き、右側には我々LASKファンの姿が描かれている。バックには今も変わらないリンツの街並みとドナウ川である。

 

試合

試合内容はリソースで上回るLASKが何とか2-0で勝利。どちらもピッチ上のクオリティはあまり高くなかった。この試合を前に中村敬斗は移籍、後釜に取った選手の中で唯一調子のよかったKoneもなぜか不在。UEL Playoffが非常に心配である。

でもダービーは結果がすべて

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さいごに

先月に東京ダービーがあり、ダービーとは?といろいろ考えさせられることは多かったがこちらのダービーは少し様子が違った。いうなれば横浜FM横浜FCのダービーに歴史的背景は似ているのかもしれない。ダービー勝利後もそこまで爆発的に喜んでいる様子はなかった。その理由の一つには前述した商業化に対するアンチテーゼもあるかもしれないが、一つ言えるのは26年という歳月がたったということだろう。
東京ダービーも12年ぶりで経験したことのない人が大多数であり、その中で世の中も変わった。こちらはさらに古く、四半世紀ぶり、さらに当時とは名前や組織が変わったクラブとのダービーである。厳密には2部時代やカップ戦で6年ほど前にも対戦している。ただその間にLASKを取り巻く環境は大幅に変化しており、一概に同じ状況とは言えないだろう。欧州への進出や大きなスポンサー、新しいスタジアム、多くの選手のトップクラブへの排出など。
東京ダービーも12年前、当時スタジアムにいた人より新しい人のほうが増えているに違いない。過去のダービーで若者だった選手がインテルマルセイユを経てベテランとして帰還するほど歳月は経った。古くからのファンに話を聞くと、新しくファンになった人が多く、ダービーが何なのかわかっていない人がたくさんいると言っていた。どの国でもこういったことは起きる。

 

試合前後で大きな問題もなく、安全に終わったダービー、組織した彼らにリスペクトを送りたい。
そしてリンツ、オーバーエースタライヒ州でNo.1はLASKである。

Die Nummer 1 in Linz sind wir!